あおみの読書日記📚

いろんな小説に触れて、繋げたい

カラフル/森絵都

※本ブログでは、小説好きなブログ管理人が、自身のお気に入り小説を少しでも多くの方に読んでもらいたいという思いから、自由気ままに感想を書いております。

中にはネタバレに近いものもあるかも知れませんが、こちらの感想を読んで少しでも小説に興味を持っていただけたら嬉しいです(^ ^)

 

 

評価☆☆☆☆

 

人生も、そしてそこに生きる人間も1つの色では表現できない程にカラフルなのだ。恋人との別れに悲哀したブルー、新たな友の誕生に心震えたピンク、鮮やかな景色に目を奪われたグリーン、誰かを守るべく激昂したレッド。それらの色が濃さも異なり、塗り方も異なり、どこをとっても1つとして同じ色彩はないものこそが人生であり、人間なのだ。つまり、どの人生も数奇で、どの人間も奇妙なのである。

しかし、私たちは相手の良いところもしくは悪いところだけで、その相手がどういった人間なのかを決めつけてしまう。捨て猫を介抱していたから良い人、嘘をついたから悪い人というように。自分の持つ定規をもってして他人を推し量ることは決して正しい行為とは言えない。みんなそれぞれ異なる色彩を持っているのだから、その彩の中から1つの色だけを虫眼鏡で拡大して、あたかも1色しかない人間かのように語るのは誤りなのだ。

では、私たちが自分の色を理解できているかというとそうではない。むしろ本人こそが最も近くでその彩りを見ているが故、全て真っ黒に見えてしまうかもしれない。

では、誰が色を与えるのか。

それはつまり、他人なのだ。愛される、避けられるとを別にして関わる全ての他人が自分に彩りをもたらしてくれる。悲しむ友を慰めたことで知られた優しさ、喧嘩してしられた気性の荒さ、そうした自分の行動をみて周りの人は色を寄与してくれる。もしかしたら、その人の持つ色を分けてくれるのかもしれない。そして同時にこちらからも色を授けているのかもしれない。

ただそうして彩を交換するためには自分を偽っていてはいけない。偽りの自分に与えられる色彩は偽りでしかないのだから。それらの色はよく見れば燻んでいて、長年使われたベンチの塗装みたくいまにも剝がれ落ちようとしているだろう。

では、ありのままに生きろと言うとそうではないと私は感じる。なぜならありのままなど誰にも分からないからだ。自分のありのままの状態が分かっているということは自分がどんな人間かが分かっていることであり、ということはその人間は他人から彩をもらう必要がないのだ。

つまり。私たちは周囲の人間によって彩の選択肢を与えられており、私たちはどの者に応えたいかという自分の思考によって彩を選択する。

好きな人からもらった優しさのオレンジと、いけ好かない奴からもらった対立のパープル。両想いを成就させるため、私であればオレンジを自分の身に染み込ませる。私はこれを偽りではないと考える。偽りとは、それこそオレンジが欲しくてオレンジを貰うべく行動することを指すと考えるからだ。

このような選択を人生のうちで無数にしていくことで、私たちは様々な色を混ぜ合わせてそれぞれオリジナルなカラフルを作り上げていく。そして、人生の終焉を迎えた時、一人の人間の色彩が真に完成されるのだ。

 

 

カラフル (文春文庫)

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