あおみの読書日記📚

いろんな小説に触れて、繋げたい

うそつき、うそつき/清水杜氏彦

※本ブログでは、小説好きなブログ管理人が、自身のお気に入り小説を少しでも多くの方に読んでもらいたいという思いから、自由気ままに感想を書いております。

中にはネタバレに近いものもあるかも知れませんが、こちらの感想を読んで少しでも小説に興味を持っていただけたら嬉しいです(^ ^)

 

 

評価☆☆☆☆


首輪の装着が国民の義務となり、これまで影に潜んでいた嘘が明るみに出るようになった世界。お世辞、おべんちゃら、社交辞令の一切が取り払われ、または好戦的に用いられ世界は一体どう変化するのか。もしくは、現在私が生きる世界と比較して、どのような点に支障が生じ、どのような点に恩恵が齎されるのか、私は本書の世界観に大変興味を覚えながら読み進めた。

私が感じた首輪による支障は、やはり他人とのコミュニケーションにおいてである。私たちは嘘と言える程でもないが、会話の中で空気を壊さないように相槌を打ったり、会話における些細な誤りにおいて黙っていたりする。そうした細やかな気遣い、配慮が首輪の示す赤いランプによって相手に伝わってしまうのだ。さらにランプの色は自分では確認できない故、言葉でフォローすることもできず、ただひたすらに相手を無言で傷つける結果となってしまう。
反対に首輪が齎す恩恵について。それは種々の確認における簡便化である。飲酒、喫煙、身分調査など、様々な場面において私たちは情報の提示を求められる。しかし、首輪があれば「あなたは〇〇ですか?」と質問するだけで、正確な回答が得られるのだ。そこには面倒な書類の記載や、カードの提示は必要なく、極めて簡便な手続きによって遂行される。

私は本書を読みながら一種の恐怖を覚えた。それは、近未来にこうした世界が実現するのではないかという恐怖ではなく、マイナンバー制度を導入したいまの日本において、既に本書のような世界の実現が始まっているのではないかという恐怖だ。
テクノロジーが発展し、あらゆる事物が効率的に簡便的に変化を遂げている。世界から紙が消えるのも時間の問題ではないだろうか。そうしたいまの世の中において、首輪の齎す恩恵は非常に魅力的に映るのではないだろうか。
他人とのコミュニケーションも閉鎖的になれば、首輪装着におけるネックな点も克服できる。いつしか家族というシステムだけが息も絶え絶えといったようにか細く残り、精子もしくは卵子の提供がビジネスになるような世界が訪れるのかもしれない。倫理という言葉はいつしか闇に葬られ、愛は過去の産物として捉えられ、氏名すらも必要性を見失い、個性は見るも無惨に殺される。そうして普遍的で効率的な世界が誕生する。そして、ロボットに居場所を取り上げられた人間自体が、世界から姿を消すのだろうか。

こうした恐怖を考えてしまうほど本書の世界観は緻密に創り上げられており、大変楽しむことができた。
ただ、本書では、首輪を外す少年を主人公にしているが故、その世界の奇妙性や特質性を描くというよりも、人間的なストーリーに重きが置かれていた。決着のついていない因縁があったり、あまりにストーリーに救いがなく少年の不憫さを憂いてしまうという多少の不満はあるものの、面白かった。

 

 

 

うそつき、うそつき

うそつき、うそつき

 

 

怪物はささやく/パトリックネス

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評価☆☆☆☆

 

死とは即ち無であり、発展もなければ衰退もない。死んだ者の人生の舞台には既に幕が降ろされ、どれだけ幕の内側で藻搔いたとしても、その熱意は誰にも伝わらない。
しかし、死んだ者が生き残れるステージがただ一つある。それは他人の記憶の中だ。
某有名海賊漫画にこんな言葉がある。
『人はいつ死ぬと思う?(中略)人に忘れられた時さ!』
私はこの言葉が好きだ。死という闇の中に、誰にも知られずひっそりと光る星を見つけようとする必死さと、人間臭さを感じるからだ。
死が死であり続けるこの世には悲しみが溢れている。あまりにも救いのない悲しみが。だからこそ、人々は喜びを必死に求めるのかもしれない。奈落の底へ突き進む列車に乗っているという事実から目を背けて、列車から見える景色に心を震わせたり、並行して走る列車との出会いに胸を膨らませるのだ。そうしないと、死の恐怖に心をやられてしまうから。
こう表現すれば、人間は弱いのかもしれない。いや、人間は弱い。用意された結末に正面から向き合えない程に。
そんな弱い人間を少しでも強くしてくれるのが日々経験する喜びや楽しみ、さらには悲しみを通して出会う他人なのだ。そして、その喜びや悲しみには必然的に物語がある。真実の物語は他者との繋がりを強固なものにする。自分が大切にしたいと思う人と様々な物語を共に紡ぎ、それらを慈しむことこそが生きることであり、それこそが人間が生きる意味なのかもしれない。
ただ漫然と日々を過ごすのではなく、自分が大切にしたいと思う人たちと私でしか語ることのできない物語を多数紡げるようにきちんと人間として生きたいと強く思った。

 

 

怪物はささやく (創元推理文庫 F ネ 2-1)

怪物はささやく (創元推理文庫 F ネ 2-1)

 

 

カラフル/森絵都

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評価☆☆☆☆

 

人生も、そしてそこに生きる人間も1つの色では表現できない程にカラフルなのだ。恋人との別れに悲哀したブルー、新たな友の誕生に心震えたピンク、鮮やかな景色に目を奪われたグリーン、誰かを守るべく激昂したレッド。それらの色が濃さも異なり、塗り方も異なり、どこをとっても1つとして同じ色彩はないものこそが人生であり、人間なのだ。つまり、どの人生も数奇で、どの人間も奇妙なのである。

しかし、私たちは相手の良いところもしくは悪いところだけで、その相手がどういった人間なのかを決めつけてしまう。捨て猫を介抱していたから良い人、嘘をついたから悪い人というように。自分の持つ定規をもってして他人を推し量ることは決して正しい行為とは言えない。みんなそれぞれ異なる色彩を持っているのだから、その彩の中から1つの色だけを虫眼鏡で拡大して、あたかも1色しかない人間かのように語るのは誤りなのだ。

では、私たちが自分の色を理解できているかというとそうではない。むしろ本人こそが最も近くでその彩りを見ているが故、全て真っ黒に見えてしまうかもしれない。

では、誰が色を与えるのか。

それはつまり、他人なのだ。愛される、避けられるとを別にして関わる全ての他人が自分に彩りをもたらしてくれる。悲しむ友を慰めたことで知られた優しさ、喧嘩してしられた気性の荒さ、そうした自分の行動をみて周りの人は色を寄与してくれる。もしかしたら、その人の持つ色を分けてくれるのかもしれない。そして同時にこちらからも色を授けているのかもしれない。

ただそうして彩を交換するためには自分を偽っていてはいけない。偽りの自分に与えられる色彩は偽りでしかないのだから。それらの色はよく見れば燻んでいて、長年使われたベンチの塗装みたくいまにも剝がれ落ちようとしているだろう。

では、ありのままに生きろと言うとそうではないと私は感じる。なぜならありのままなど誰にも分からないからだ。自分のありのままの状態が分かっているということは自分がどんな人間かが分かっていることであり、ということはその人間は他人から彩をもらう必要がないのだ。

つまり。私たちは周囲の人間によって彩の選択肢を与えられており、私たちはどの者に応えたいかという自分の思考によって彩を選択する。

好きな人からもらった優しさのオレンジと、いけ好かない奴からもらった対立のパープル。両想いを成就させるため、私であればオレンジを自分の身に染み込ませる。私はこれを偽りではないと考える。偽りとは、それこそオレンジが欲しくてオレンジを貰うべく行動することを指すと考えるからだ。

このような選択を人生のうちで無数にしていくことで、私たちは様々な色を混ぜ合わせてそれぞれオリジナルなカラフルを作り上げていく。そして、人生の終焉を迎えた時、一人の人間の色彩が真に完成されるのだ。

 

 

カラフル (文春文庫)

カラフル (文春文庫)